献身的な救済活動を続けながらも、状況は進展せず、個人の力の限界を感じた豊彦は答えを求めてアメリカへ。そこで「根本的な解決には社会の仕組みづくりが必要」と痛感し、帰国後さまざまな運動の先頭に立ちました。
Vol.3 世界の平和を願って